
私は園経営のモデルとして、しばしば、アントニオ・ガウディを手本とします。
なぜ建築家のガウディ・・・
彼の作品、サグラダ・ファミリアは130年以上たった今も建築が続いています。
ガウディ亡き後も彼の理念を引き継いだ職人たちがその想いを具現化しています。
長い歳月が彼を成長させました。
皆、そうであるように、ガウディも若い頃にはとても完璧と言えない人物でしたが、生き方や社会の在り方といったことについて、常に疑問を持ち、強く答えを求めていた人だった・・・
その迷い多き若者がサグラダ・ファミリアの主任建築家になったのを一つのきっかけとして、キリスト教の精神が見ようとしていたものを深く勉強するようになり、また、多くの優れた宗教指導者たちとの出会いを経て、一つの宗派を立ち上げてもいいくらいの崇高な人間になっていく。それはまた、神が創造した自然から素直に知恵を得ていこうとする精神が養われていく課程でもあった・・・(本文引用)
そうしたガウディの成長をすべて吸収し、理念に反映されているのでしょう。
ガウディは本当に人間を幸せにするものをつくろうとしていたと思います。そしてまた、人間がつくり得る最高のものを神に捧げようとしていました。
サグラダ・ファミリアは家族愛がテーマの教会だそうです。幸せな家庭が増えれば社会全体が良くなる・・・
なので、養父ヨセフも像があります。イエスキリストやマリアを守ろうとした父の無償の愛
生誕の門にはペリカンの彫刻がありますが、聖トーマスという聖人の残した言い伝えの中に「母ペリカンは、食べ物がなく、子ペリカンが飢え死にしそうになると、自分のお腹をくちばしで裂いて血をのませた」という内容の話があるそうで、母子の愛情、もしくは親子の愛情のシンボルとして置かれています。
しかも、このペリカンの親子の像は聖家族の像の上に置かれ、門に近づくにつれ、他の像にかくれて見えなくなってしまいます。
これは、「本当に大事なものは近くにいるときは見えない」と言うことを暗示しているのではないかと著者の外尾悦郎さんは言っています。
他にも様々な工夫と挑戦がこの建築の中に施されていますが、今も職人さんたちは、ガウディの思想に近づこうと努力されています。
130年も作り続けられていますが死亡事故は一件も起きていないといいます。
ものを作る人間をダメにする確実な方法は、全体を考えさせず、細かい作業をひたすら義務としてやらせることです。そうするともう、現場での新しい発想が生まれてこなくなるだけでなく、いかに手を抜くかということばかり考える人が現れ、図面通り100パーセントのものすらできなくなる(また、そもそも図面に誤りがあった場合にも、職人たちの直感によって、それが「おかしい」と指摘されることも起こりにくくなります)。(中略)小さな手抜きの積み重ねがやがて致命傷となり、建物を崩壊させることも十分に考えられます。(中略)今日まで死亡事故が一件も起きていないのも、職人たちが自ら考え、意欲的に仕事をしてきたことと無関係ではないと思います。
保育園でも同じことが言えるのではないでしょうか。
職員を信じ、同じ理念で子どもたちと向き合う・・・本当のチームワークが新しい発想を生み出す気がします。
自分のなかでの名場面、名文句がたくさんありますが、やはり、一番大事に心にとどめているのは、
キツネが王子さまと別れる場面での
「ものごとはね、心で見なくてはよく見えない。いちばんたいせつなことは、目にみえない」
というセリフ・・・
人生の折々に読み返すと新たな発見があります。
王子さまの一輪のバラは「愛する人」と読み替えれるでしょう。
王子さまがバラに費やした時間が、他のどのバラよりも美しく感じる、愛すべき特別なバラにしたのです。
「愛」は確かにありますが、目には見えません。
愛を知っている人は優しくなれます。
大切な人を想うとき優しい気持ちがあふれます
最後の「僕」と王子さまの別れの場面、
「花のことと似てるな。どこかの星に咲いている一輪の花を愛していたら、夜空を見あげるのは、心のなごむことだよ。星という星ぜんぶに、花が咲いているように見える」
「そうだね・・・・・」
「水のこととも似てる。きみがぼくに飲ませてくれた水は、音楽みたいだった。滑車が歌って、綱がきしんで・・・・・ほら、思い出すでしょ・・・・・心にもおいしい水だった」
「そうだね・・・・・」
「夜になったら星を見てね。ぼくの星は小さすぎて、どこにあるのか教えられないけど。でもそのほうがいいんだ。ぼくの星は、夜空いっぱいの星のなかの、どれかひとつになるものね。そうしたらきみは、夜空ぜんぶの星を見るのが好きになるでしょ・・・・・ぜんぶの星が、きみの友だちになるでしょ。今からきみに、贈り物をあげるね・・・・・」
そして王子さまは、笑った。
「ああ! きみの笑い声をきくの、大好きだ!」
「そう、これがぼくの贈り物だよ・・・・・あの水のお礼だよ・・・・・」
「どういうこと?」
「人はみんな、その人なりの星を持ってる。旅をする人たちなら、星は案内役だ。そうでない人たちなら、ただのちっちゃな光。学者たちにとっては研究するものだし、ぼくがあった実業家にとっては、金でできているものだった。でもどの星も、口をつぐんでいる。だからきみには、誰も持っていないような星をあげるよ・・・・・」
「どういうこと?」
「きみが星空を見あげると、そのどれかひとつにぼくが住んでるから、そのどれかひとつでぼくが笑ってるから、きみには星という星が、ぜんぶ笑ってるみたいになるっていうこと。きみには、笑う星々をあげるんだ!」
大切なひととの別れ、心が折れそうになった経験・・・そうした心のクボミも、よい保育園にしたいという情熱や思いにつながりました。
幼児期の大切なときを大事にし、折れない心を育む。
愛着と信頼があってこそ周りを思いやることがができるようになる。
星の王子さまは童話ですが、大人が読んでも示唆に満ちています。時々原点に還り、新たな力をもらえます。
ー いちばんたいせつなことは、目に見えない ー
大事にしたい保育観です。
久々です。すみません・・・
一昨年に植樹した榎にようやく葉が茂り始めました。うまく根が張らず、枯れてしまったのかなと思ったりしましたが、見えない根っこの部分に命を集中して頑張っていたようです。
新年度がスタートして1ヶ月以上経ち、この4月からの改善した点もなじんできたようです。
主な変更は、感性と運動能力アップのため、これまでの体育教室をやめて、毎週、野外活動を計画的に取り入れたこと。
二階の3、4、5歳児クラスで、外遊びに出る動線を考慮して、これまでの一階玄関からの出入りから、外階段を使い通って二階ベランダからの出入りに変更したこと。毎月一回発行していたクラス便りを毎週発行するようにしたこと。
などなどいろいろありましたが、新年度移行のドタバタで説明が行き届いていなかったこともあり、当初は、保護者の皆様から戸惑いの声やご意見を多数いただきました。おかげでさらに良くなってきたように思います。
お詫びとお礼を申し上げます。
さて、そんな4月でしたが、園として「子ども主体の保育を行う」という基本理念に何らブレは無く、あくまで、子どもの様子からの気づきに基づき変更したことでしたので、正直、木に例えるなら、今回の変更点は枝葉の部分と思っていました。
ご意見をいただいてみて、根っこの部分、園としての「理念」を繰り返し伝えていかなければと反省したところです。
これから何回かに分けて私の「思い」も含めこの「根」をお伝えしていきたいと思います。
今日は序章として・・・
このごろは保育界でも、とかく目先のこと、目に見えることばかりにとらわれているように思えてなりません。
園の名誉とばかりに在園中に成果を出すことに必死です。
幼児教育は大人顔負けの何か「スゴい」ことをさせたり、小学校の前倒しではありません。
折れない心を育み、思春期に花開くためです。
感性を磨く時間を奪い、早く早くと急かしてしまうのは逆効果です。
私が保育に携わるようになってよりどころになっている本を紹介しながらと思っていますが、元々門外漢の経歴から園長になりましたので、視点が違うかもしれません。
まずは「星の王子さま」を次回紹介したいと思います。
昔読まれた方もたくさんいらっしゃるのではないでしょうか。
キーワードは「いちばん たいせつなことは、目に見えない。」です。
初野地区の朝の冷え込みはすごくて、園庭は凍っています。
お日様が上ってくるのとともに、徐々に溶けて来るのですが、園庭の土はトロトロになっています。
子どもたちがそれを見逃すはずがありません。
寒さも何のその!土の感触を目一杯楽しんでいました。