園長日記

2010 年 7 月 27 日 火曜日

熊本でおむつなし育児座談会が行われるということで、
見学にいきました。

おむつなし座談会


主催は Hug & Happy in 熊本~だっこ・おむつ・おんぶの会~の皆さんです。

10名ほどのお母さんたちと経験者のお母さん数名が参加されていていました。

おむつなし育児とは、まったくおむつをしないわけではありません。なるべくおまるやトイレなど、おむつの外で排泄をさせることです。おむつだけに頼らなくなると、赤ちゃんのサインがわかるようになり、気持ち的に楽になるようです。

このような自然育児の座談会を水俣でも開催したいと思っています。

最近のハイテク紙おむつ、パンツは直接触れなくても出ているか出てないか判るので、赤ちゃんと私たちのコミュニケーションの力も落としているような気がします。

あかちゃんにおむつはいらない
赤ちゃんにおむつはいらない」という三砂ちづる先生の本を前に読んだのがきっかけですが、保育園でも紙パンツをしている子が気になってしょうがなくなり、なんとかしたいという思いでいます。

個々の発達の差はありますが、少しでも排泄の自立が促されるような園環境を整え、0、1、2歳児のクラスが、もっと流れるような保育になるようにしたいのです。

流れるとは、子ども自ら行いたいと思っている行動を一斉的にさえぎらないということです。

できるところから始めたいと思っていますが、できれば今年度中にレンタルのトレーニングパンツを導入したいと思っています。

5月には、モンテッソーリ教育実践園として有名な福岡市のエミール保育園で使用されている「エコニコパンツ」を視察してきました。

ここでは、特別に開発された従来のトレーニングパンツよりも薄手のものを使い、園で殺菌消毒して洗濯乾燥してレンタルで使用しています。保護者は毎月その使用料を払うしくみです。

エコニコパンツエミール1


園所有のエコニコパンツとパンツが自由にとれるカゴ、そして座って自分でパンツを脱ぎ着する高さ14センチぐらいの椅子、濡れたパンツを自分で入れるカゴの3点セットをセッティングしてありました。

枚数を気にせず、また、子どもたち自身の力で着脱できる環境が整えられているので、排泄の自立を気持ちよく成功させているようです。

設備投資もしなければならないので完全実施は来年以降になりそうですが、全年齢で、より「見守る保育」が進化できるように努力したいと思います。

2010 年 7 月 19 日 月曜日

 

大阪の辻井こども総研のご協力を得て、保育園にておもちゃコーディネーター養成講座を開催いたしました。

園から数人大阪や東京に研修に行ってもらっても、周知が上手く行かないことがありますので、思い切って自園で開催しました。

遠くは熊本市内や鹿児島から近隣園を含め40名近くの方にご参加をいただきました。
おかげさまで盛況のうちに開催できました。有り難うございました。

今回の講座は、決しておもちゃのだけのことでなく、保育全般に繋がる示唆や、子どもたちの意欲を引き出す様々なヒントを私たちに与えてくれたように思います。

おもコー2

たくさんのグループワークを交えた講義で、参加された皆さんも、童心に返って熱く遊び込んでいました。
その中で、他の人がいるからこそ楽しめる「つながる」うれしさをあらためて確認できました。

単におもちゃで遊ばせるだけでなく、そのモノによってどのような学びや発達が期待できるのか、環境デザイナーとしての保育士の役割が大切です。

こうした目線は、野外活動の場面でも生かされると思います。

自ら創り出す遊びへ発展させ、他の子ども同士のコミュニケ-ションを促進させることができるのか。
保育士は、まさに、コーディネーターとして子どもたち同士の心を繋ぎ、その場をセッティングするセンスを磨く必要があるのです。

 

2010 年 7 月 4 日 日曜日

img_1230_yoshi

 

6月28日10時46分に四人目の我が子が誕生しました。
男の子でした。

ということで今、福井県に来ています。

前日の夜10時に産気づいたと連絡がありましたが、すでに上り列車は最終の熊本駅止まりしか有りません。しかし、水俣からの始発では福井に着くのは午後2時を過ぎてしまいますので、とにかく、その22時28分発の列車に着の身着のままで飛び乗り、熊本駅で始発を待つことにし、新幹線を乗り継いで、10時56分に到着しましたが、妻がいる助産所に着いた時には、長男が「生まれたよ!男の子」と玄関で待ちかまえていました。

これまでの3人の子たちは皆出産の瞬間に立ち会うことができていたので少し残念でしたが、へその緒は長男といっしょに切ることができました。

4歳と2歳の娘も一緒に産湯で赤ちゃんの体をきれいにしました。

家族で迎えるお産は言葉は無くても命というものを伝えてくれるようです。